学校教育の単純作業労働者を生むシステムは世の中では通用しない苫米地式コーチング非公式ネット17-4
前回の記事では、学校教育の強制的な集団行動がいじめを産み、そして本音を認めることが出来ない大人を創りだすことについて書きました。
今回は、今後の働き方についてです。
間違いなく言えることは、単純作業(ルーティンワーク)の仕事はこれからの社会では通用しないということです。
なぜかというと、一番の要因は機械化です。
たとえば
馬車からタクシーになり
駅のもぎ取りから自動改札になり
ホテルのフロント対応の機械化等
僕達の一番大事な人生の時間を消耗しないで済むように、単純作業は機械に置き換わっていくからです。
その流れは2020年頃から一気に来るはずです。
そしてこれからますます抽象的な思考をして、付加価値を世の中に提供できるかどうかが、お金持ちと貧乏の明確な差になってきます。
ぶっちゃけて言えば、日に日に格差が広がっています。どんな格差かというと年収はもちろんですが、思考出来る人と思考できない人の差です。
ここでいう思考とは目の前の問題解決だけではなく、抽象思考であり長期的な視点です。
単純作業でも十分通用していたバブル期までは、江戸時代の人達みたいにその日その日のことについて考えて生きていても問題なかったですが
ITやグローバル化、機械化等で長期的に物事を考え、さらには世に出ている圧倒的な情報量の中から整合性を見つけ、世の中に価値を提供していかなければいけなくなりました。
つまりいうと、「答えのない物を考え続ける人が通用する」ということです。
ですが教育の基本となっている義務教育ではどうでしょうか?
未だに抽象思考をさせずに、数式の暗記や頭を使わなくても解ける問題に時間を割いています。
これが工場全盛期だった1950年代なら問題ないですが、何度も書いている通り、今はいかに「答えのない物を考え続けて価値を出していくのか」です。
だけどここで「教員が悪い!」というのはそれも違います。
なぜなら教員も今の状況を辛くて苦しいと思っているし、その状況を創っている社会構造であり、教育の常識だからです。
そして教育機関や社会構造は前例主義であり、資本主義における経済の流れを理解していない人達です。
だから今までのままでも通用すると思っていますが、はっきり言えば甘いです。
なぜなら社会は常に僕たちの創造を超えるスピードで変化しているからです。
10年前にはYoutuberという職もなかったし、Googleという企業もありませんでした。
そしてこれからの社会ではその流れは速くなります。
つまり益々抽象思考と自分で考えていく能力が必要になるというわけです。
その中で単純作業は機械化され、人間がやる意味を見いだせなくなるので賃金は下がります。
となると貧しくなるのは目に見えているんです。
なので大事なのは、その事実に気づくことであり、親も読書をして抽象思考をし続ける事です。
それが自分の子どもの未来を守ることになります。
以上、学校教育の単純作業労働者を生むシステムは世の中では通用しない苫米地式コーチング非公式ネット17-4...でした!