コーチングの事実!他人が決めた価値基準では一生幸せになれないし虚無感を生む苫米地式コーチング非公式ネット17-5
「世の中生きにくいなあ」と思って将来の生き方に悩んでいる人は多いのではないでしょうか。
実は生きにくさを感じている人にはある共通点があるんです。
それは「他人が決めた価値基準を自分の望むものだ」と思い込んでいることです。
たとえば
ヴィトンのバックが欲しい!
Iphone7が欲しい!
公務員になりたい!
正社員になりたい!
年収が高い方はいいに決まっている!
何でもいいんですけど、あなたが「〇〇が欲しい!」というものは、そのほとんどが他人から仕掛けられた欲求です。
だからこそどんなに心身を疲弊させたり、人生の時間を費やして手に入れたとして
「なんだかほしくなかったなあ」とか「この程度のことに自分は人生を費やしていたのか」と激しい虚無感に襲われることになります。
なぜこう言い切れるのかというと、ぼく自身はまさに虚無感を感じた人間だったらからです。
ぼくの場合は陸上部に所属にして、100m10秒台と全国大会出場という夢を持っていました。
それは自分が最初から持っていた夢ではなくて、周りから「100mの選手は10秒台で走ることと全国大会出場を目指してるし、憧れなんだよ」と先輩から教えてもらったからです。
だからこそぼくも他の人と同じ目標を追いかける事にしました。
たしかに夢に向かっていた時は楽しかったし、かけがえのない物を得ることが出来ましたが
実際に手に入れると「あれ?こんなもんか」「人生を賭けて手に入れるもんでもないなあ」と激しい虚無感に襲われました。
つまり僕は、自分の本音を忘れていたわけです。
コーチング理論からすると、自分の本音のないゴールはゴールとなりえません。
その過程でエネルギーが湧かなかったり、Have toを感じて生産性が著しく下がります。
そしてたとえゴールを達成出来たとしても、激しい虚無感や幻想に気が付いた時の絶望感に襲われることになるんです。
多くの人が就職をして、「こんなはずじゃなかった」「このままでいいのだろうか」と思うのはまさしく自分の本音ではなくて
「他人からどう思われるのか」とか「これがあなたのやりたいことであり天職です」と価値基準を押し付けられてきたからです。
そして冷静に考えてみると、そもそも僕たちが他人の価値基準を気にするようになった時期は、学校教育に染まり始めた時です。
「先生のいうことは絶対です!」「先輩のいうことは絶対!」という儒教的価値観の押し付けから始まっています。
本来ならば自分の本音にふたをして生きることは出来ないはずなのに、力がある強いものからの恐怖による支配は僕たちの前頭前野を麻痺させます。
そうして僕たちはいつの間にか「他人の価値基準で生きる」ことがコンフォートゾーンとなり、それが正しいと思って毎日憂鬱な気分で働くことになっているんです。
だからこそここで言いたいのは、
他人から与えられた価値基準では一生幸せになれないし
結局のところあなたの人生の責任は他人はが追う事なんてできないんだから、もっと自分の本音に素直になってもいいと自分自身に認めてあげることです。
言葉を受けれるとそれが信念となり、あなたの行動と選択が決まります。
すなわち、人生が変わるということです。
あなたは自分に許可を与えていますか?
もし自分の本音に素直になってもいいと許可を与えることが出来てない人は、これを機に是非許可を与え続けてください。
ここまでよんでくれたあなたなら、絶対に変ることが出来ます。
以上、コーチングの事実!他人が決めた価値基準では一生幸せになれないし虚無感を生む苫米地式コーチング非公式ネット17-5...でした!