「他人の評価・視線がバカバカしい!」と思うと人生よくなるたった1つの理由
他人からの評価や、どう思われているかという視線が気になって、自分がやりたい事を出来なくて悩んでいる人も多いのではないでしょうか。
ですが、実は
他人の評価や視線がバカバカしいと思うと、マジで人生よくなります。
つまり、あなたが何かやりたいと思ったことをやろうとするときに
「あの人にどう思われるか」ということを気にしない
ということです。
それが
親なのかもしれないし
夫や妻かもしれないし
親戚かもしれないし
近所の人かもしれないし
上司とか部下かもしれないし
友人知人かもしれませんが
自分以外の人にどう思われるかとか、どう評価されるかをシカトすると人生好転します。
【あなたの人生の責任は、誰も取れない】
ぼく自身がそうでした。
自己紹介でも書いてますが、
ぼくは他人の目を気にして嫌われないように、つまりそのコミュニティから外されないように自分の本音をおさえて周りに合わせて生きてきました。
だけどあることに気が付きました。
それは、周りの人は僕の行動に口を出すことが出来るけど、人生の責任までは取ることが出来ないということです。
「そんなことをしてはダメだ」
「カッコ悪いことは辞めなさい」
「みっともない」
「前例はあるのか?」
「それは意味あるの?」
「なんだか最近変わったね・・・」
ぼくたちは知らず知らずの内に「やりたいことをやって生きるのは悪」という価値観が「骨の髄まで」しみこんでいるので、
自分の本音を押し殺し、
我慢して他人と協調することが美徳であるという
固定観念(ブリーフシステム)を持っています。
そして我慢の輪を乱す行為をすると、
全力で批判して現状に縛り付けようとします。
もしかしたら、あなたも経験があるかもしれません。
だけどぼくたちは
「協調することが美徳であり、重要なことである!」ということを教わっていたので、
一度属したコミュニティから抜けることにとてつもない恐怖心をもっているため、
やりたいことを批判してくる人の言葉は恐怖をあおってきます。
そしてドリームキラーと呼ばれる彼らの言葉を受け入れ、本音にフタをしてやりたいことを諦めていきます。
やりたいことを我慢しているコミュニティの外には
やりたいいことをやって幸せに生きている人が数えきれないくらいいるのにもかかわらず、
人生に責任は取れない他人の言葉を受け入れたが上に、
我慢して生きる道を選ぶことになるんです。
【他人が出せるのは口だけ】
だけど、ドリームキラーに負けて
やりたいこと、本音にフタをして我慢して心身が壊れたとしても、彼らが責任を取ってくれるわけではありません。
「それはあなたが選択したことだから知らない」とか
「私も我慢してるんだからお前も我慢しろ」という根性論を押し付けたり
自己責任論を強調して
それが正当化されます。
恐怖をあおり、選択肢を無くした上でしかたなく選択させたことは自己責任にはなりえません。
そして、そもそもの話になるけど
ぼくたちは他人の人生を肩代わりすることが出来ません。
あなたに口を出してきた人が、
あなたの人生を代わりに生きていくことは出来ないし
逆にあなたが口を出してきた人の人生を
代わりに生きることができません。
様々な障害を乗り越え、自分の人生は自分自身で選択して創っていくしかないんです。
自分がどの言葉を受け入れ選択していくのか
誰の言葉を受け入れ参考にしていくのか
人生の選択をしていくのかだけです。
選択できるのは「自分」だけです。周りは口を出すことが出来るだけです。
どんなに怖い人でも、どんなに偉い人でも「口」しか出せません。
本来、人生の選択権は「あなた」にしかありません。
ただそれを恐怖によって勘違いして、他人にゆだねているだけです。
ここでは国による救済は省きます。よく自己責任論で傷害保険や生活保護、失業保険をもらうのはダメなことと反論がありますが
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
日本国憲法第25条
とあるように、
文化的で最低限の生活をする権利が僕たちにはあって
主権をもっている国民が政府に「文化的で最低限の生活を送ることが出来るようにしなさい」と政府に要請をしているので
条件を満たしていれば恥じることなく使ってもいいんです。
ここでは最低限の生活うんぬんという話ではなくて
人生という限られているけど壮大な時間の中での話です。
自分の人生は自分でしか創ることが出来ないし、だれも責任を取ることが出来ない
ということは他人の評価や視線を気にして自分の本音にフタをするのはバカバカしいということです。
もっと自分の本音に素直になってもいいんですよ!
【奴隷になるな!鎖の自慢をするな!】
自分の本音というのは、コーチング的に言うとWant toです。
「やりたい!(Want to)」というパワーがあなたの行動を起こさせるためにエネルギーになって
あなたを縛り付けている現状から飛び出して人生を楽しくしていくためのロケットブースターになります。
逆に自分の本音にフタをしてやりたくないこと(Have to)をやることは
ますます自分自身を縛り付けることになるし、
苦痛の中で生きることになります。それは奴隷です。
奴隷は最初抵抗します。
「ふざけんな!ここから出せ!」と必死に抵抗しますが、
いずれ今の状況になれてしまいます。
そして鎖に繋がれた奴隷は自分がつながれている鎖の自慢をしはじめます。
年収かもしれないし
学歴かもしれないし
企業名かもしれないし
役職かもしれないし
ブランドかもしれませんが
苦痛に生きることがコンフォートゾーン(快適)になってしまった人は、自分の中にはモノサシが存在せず他人に決められた価値基準で物事を判断します。
奴隷の鎖じまんには終わりはありません。
本音という根本が満たされていないため、
「年収が低い人はダメ」と思うようになるし、
「学歴が低い人は負け組」と思うし、
「非正社員はクズ」という差別思想に陥ります。
自分の本音にフタをして他人の目線・評価の中で必死に踊るというのは、
際限ない欲求に襲われ、終わりがなく、最終的には心身のバランスを崩して廃人と化します。
高度経済成長期だった頃は奴隷の鎖自慢をしても踊れば踊るほど豊かに生きることが出来たけど
現代社会は一昔前の成功体験は全く通用しないし、
自分の本音にフタをして踊ってもますます貧しくなるだけです。
【あなたはどんな人生を歩んでいきたいですか?】
そして後悔してもだれも責任を取ることが出来ません。
だからこそ他人の評価、目線に騙され、人生を棒に振るのはバカバカしわけです。
バカバカしいと心底思えるようになると、
奴隷の鎖が少しづつ錆びて朽ちていきます。
そして人生の主権を責任能力のない他人ではなく自分に戻すことが出来ます。
人生の主権を戻すことが出来れば、
マインドが自然と「Want toで生きるために必要なこと」を探し始めます。
「私は奴隷として生きよう」と決意すれば、それを叶える方法を探し出して現実にしようと行動させるし
「私は自分のやりたいことで生きよう」と決意すれば、それを叶える方法を探し出して現実にしようと行動させます。
「あの人、何だか楽しそうだなあ」と感じる人は、人生の主権を他人ではなく自分自身に取り戻した人です。
そして自分の人生に責任を持とうと決意している人でもあります。
最後に、コーチの視点からあなたに質問をします。
あなたの本当にやりたいことはなんですか?
あなたはどんな人生を歩んでいきたいですか?
まずは自分の本音に正直になって、人生を考えてみましょう。
以上、「他人の評価・視線がバカバカしい!」と思うと人生よくなるたった1つの理由...でした!
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